生の中に

2012年3月3日 読書
生の中に
最近、この本をまた読み返しています。これでこの本を読むのはもうかれこれ五回くらい。それでも所々を忘れていて、ああ、この人はこうだった等と読み進めながら思い出しています。生きていく上で、本を手放さないといけない時が人には必ずあると思いますが、そういう時にでも、絶対に放さない放したくない本がこの作品だと思っています。私が初めてこの本を読んだ時は、まだ10代でした。わけがわからないままただ、周りの皆がすごくいいと言うそれだけの理由でこの本を手にとりました。私の10代は性に対してものすごく潔癖でした。なので半分も読めずに終わったのを覚えています。何回か読んだ今になると、あんな風に考えていた私の20代をミドリの言葉で思い出すのです。彼氏にわがままなことをわざと言ってよく怒らせていたあの日々。今も変わらずわがままな私ですが、明らかにあの頃とは違った我が儘になっているんだ、とミドリの言葉に気づかされるのです。そして、直子が痛いくらいわかる様になりました。直子の気持ちがさっぱりわからなかった私はミドリ側だと思っていました。でも、今は直子がすぐ隣に感じる様になりました。自分がこちら側にくるなんて、あの頃の私には想像もつきませんでした。大切な人を失う喪失感という言葉の意味を、よくわかっていなかったのか、それとも私は、あの潔癖な10代の頃からずっと、実は直子の位置に気がついていなかっただけなのかもしれません。生と死は対極ではなく、生の中に死は潜んでいる。その言葉はそういうことなのかもしれないと、この作品を通じて今は感じています

コメント